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早割申込み締め切り間近です!

早割申込み締め切り間近です!

みなさん、こんにちは。

9月も中旬、まだまだ暑いですね^^;
クーラーで涼しく過ごしていると、水分補給を忘れがちになってしまう
今日この頃ですが、だいたい機嫌よく過ごしています。


最近、小林麻央さんのブログ「KOKORO.」を拝見しています。

市川海老蔵さんの奥様で、乳がんと診断され、今月から「病気の陰に隠れない」と
陰から光の当たる場所に気持ちを向けて、ご自分の思いを表現されています。
ご自分と向き合われ、それを認めておられる内容に共感されている方も多いのではないでしょうか?

例えば、

*****



「知らぬが仏」で

本当に
知らないで生きていられたら
穏やかで幸せなこともたくさんあると
思います。

不安や怖れ、時に、憎しみや怒りが生まれるときは、特にそうです。

私は、病気になって初めて知った感情が
ありました。
31年間も知らないで生きてきた感情が
あったのです。しかも、いっぱい。



*****

自分ではどうしようもない経験や、2〜3日で治った風邪の時でも
「え!?」と驚くような感情って経験されたことないですか?

わたしの場合、そういうことは、寝込んでいる最中よりも少し回復してきた頃に
フツフツと湧き上がってきていたように思います。
もちろん、痛みを感じる時はその痛みと戦いながら、いろんな思いが頭をよぎるという
ヘトヘトになる経験もあります。

過去のことや、起こっていないこと、思い浮かんだ人の顔から関連して・・
見ないように、隠していたアレが噴き出す感情。
大なり小なり、心当たりを感じるのではないでしょうかぁん?☆

また、他の日の投稿には

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私は痛み止めを飲むのが嫌で、


でも、癌の痛みで
限界を感じて、ようやくようやく
薬を飲んだとき、

身体の痛みが和らいで、
なんだかわからないけれど、

「許されていく 」感覚がしたのです。

そのときの
痛みから 解放されていく
「 和らぎ 」が今でも忘れられません。

思ったのです。

何で頑なに
こんなに自分を苦しめる必要が
あったのだろう。

私、悪いことしたから病気になった
わけでもないのに、
なんで勝手に罰みたいに
苦しんでいたのだろう。


不思議なもので、
あんなに苦しんだ痛みは
少しずつ忘れたけれど、

あのときの、
痛みから解放されていく感覚は
きっと一生忘れません。



*****


「助けられた」「救われた」と感じる経験がある方なら誰でもその体験に当てはめ
ご自分のこととリンクできることだと思います。思いが解ける瞬間は、本当に喜びです。

そうそう、鎮痛剤といえば・・
数年前、手術後からしばらくの間、鎮痛剤を使っていました。ある日、その鎮痛剤が切れて患部にものすごい激痛を感じ、あまりにも痛くて動揺したのを覚えています。すぐに鎮痛剤をもらい痛みは和らぎましたが、「痛みの恐怖」の体験からその日からしばらく不眠になりました。うとうととして眠りそうになると、ハッと目が覚めるのです。
眠剤をもらっても、数日は上手に眠れませんでしたが、ある日、身体がポカポカと暖かく、ふわっとリラックスしていく感覚を感じて眠れるようになった時、無意識に、警戒して緊張感の高い状態になっていたことに気がつきました。
術後からずっと鎮痛剤が効いて痛みを感じず過ごせていたので、薬の効き目がなくなった時の「不意打ちの激痛」から、頭の理解では「鎮痛剤もらってるし大丈夫」って思っていても、怖い思いをした経験がまだリアルで「油断できない」恐怖心や警戒心、高い緊張感を手放すことができず持っていたんでしょうね。
(ご勝手自己分析^^)

鎮痛剤や眠剤などのお薬から、救済へのワンステップとして助けになりますよね。
本当の赦しは、ここから始まるのですが、このように警戒したり緊張感が高い場合は
まず一服してから〜というのも、アリだと思いますし、大切ですよね。





ACIMは、「身体はない」「肉体も幻想」と、言われています。

その前に「心」について一言、ACIMのいう「心」は私たちの身体の中にありません。

日頃、一般的に「心」と言われているものは
ACIM的には「思い」「解釈」「知覚」という極めて一個人的な部分になります。
心によって、この世界が(誤)創造された物の中に肉体というものがあります。

肉体の中に心はないし、肉体によって心に影響を及ぼすこともできません。
なぜなら、肉体は、創造する力を持っていないのです。
でも、だからと言って、そのことを軽く見てしまうのもナンセンスです。

「この世界は本当はありません」とか「身体は幻想です」とかパッサリ言い捨ててしまうのは一瞬爽快かもしれませんが、その教え自体を否定していることになります。

わたし自身も、まだしっかりとコミットができていなかった時は、そう言って、向き合うべきものをその言葉で見ずに済むようにしていたと、今だから思えます。

(誤)創造した心のパワーで創られている物を否定するということは、創造する(真の)心のパワーも否定しているということだからです。真の心のパワーに対する恐れを、無自覚に隠している時は「幻想だから」というのは、ちょっとわかっている風にも思える「恐れの隠れ蓑」になりますよね。要注意です。

心によって映されている、この世界を赦していく上で肉体を無視することはできません。
そして、その正しい理解と使い方をACIMから日々学んでいます。

医療従事者の方や介護職など、対人援助の職を選ばれている皆さま、日々、患者の方々(目の前の人)と向き合われている、その肉体をどう見ていくのか、心のパワーをどのように使うのか。
また、病を患われている方のご家族の方も、看病や介護を通して一緒に暮らしていく中で、どのような思いの立ち位置でいらっしゃいますか?



ここでお次は、
小林麻央さんのお姉さんでアナウンサーの小林麻耶さんも
患者のご家族という立場でブログ「まや 日記」にこのようなことを書かれていました。
(小林姉妹が気になるこの頃なのです・笑)

*****



妹に泣きながら話しました。

『まおちゃん、私も、癌の陰に隠れてた。癌の妹の姉というアイデンティティが私を支配してた』

(割愛)

私のあり方は、
癌の妹の姉でした。


そのアイデンティティを
持たないという選択は
私にはできないけれど、
完全に支配されていました。



*****

「(患者の)家族は第二の患者」という言葉があるそうですね。
患者である私は、この言葉から自分の家族を思うと、愛しさと感謝がより一層感じられます。

家族以外であっても、大切な人が「病気」になったら、そこにまた一つ「自分で設定したアイデンティティー」が追加されてしまうのは、仕方がないといえば「仕方がない」話です・・。

ですが、安心してください。ACIMはそのアプローチからも、ちゃんと救済があるのです。

というのは、まず「病」という言葉の使い方です。
「病」というと、身体として生きている私たちへ、心身含めて、何らかの治療法が必要な場合「病気」とされますが、ACIMの場合、もうちょっと・・いえいえ・・かなり柔軟であり明確に。
「正しくない心の状態」と、シンプルに表現されています。

ここで言われている「心」は、ACIMのいう「心」のことです。

それは、患者も医療従事者や介護職・対人援助職の方々、患っている方のご家族の方、ご友人、ご家族のご友人、ご友人のご友人など・・つまり、誰かと関わり生きているすべての人に、ことごとく関係している「心」のことです。
誰も、そこから例外として関わりのない場所に置かれている人はいません。

「正しい心」と「正しくない心」という2の状態で分離している心から
どちらかを選び、その選び直した1つの「心」から、私たちはどのように物事を見つめることができるのでしょうか?

「心のパワー」とは、想像をはるかに超えたスケールのモノ。
わたしとしては、「想像をはるかに超えたスケールのモノ」という想像をも、はるかに超えている
とてつもないスケールのものではないかと思っています。

この「想像をはるかに超える」という想像さえも、はるかに超えるであろう
「心のパワー」を選び直していくことで感じることのできる世界。
その一片でも触れることができればという思いがあります。
(というか、ちょっと願望です^^)


心のパワーの一片に、セミナーに参加された皆さまと一緒に
少しでも触れることができたなら〜の瞬間を妄想し、ワクワクしています。

もちろん、「病気」を他の「お金」「人間関係」や「とりあえず問題だ」と思っていること全てに置き換えることもできます。なぜなら、その問題の根源は「同じ理由」だからです。
誰も、そこから例外として関わりのない場所に置かれている人はいないということです。





関西セミナーの受付が始まっています。
9月末日までに、お手続き完了されます場合
「早割」で参加費がお安くなります。

早割申込み締め切り間近!
スケジュールをご確認されましたら
早割期間のお申込みがおすすめです。

お申込み・詳細はこちらから
お待ちしております。
http://acim.jpn.org/event_det.php?id=1883

通常お申込みは10月25日締め切りです。
よろしくお願いいたします。^^

更新日:2016-09-11 13:54:20