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「自薦」「他薦」を問いません。

「自薦」「他薦」を問いません。

2017年3月1日
いつもお読みくださるすべての友と、初めてお読みくださるあなたへ感謝と祝福を贈ります。

さてさて、このタイトル、何か募集でもあるのかしら?と思われましたら、
申し訳ございません。現在、募集は致しておりません。すみません。笑

久しぶりに更新する、忘れた頃に書く「コラム」。
今回も、今のわたしの目線・私見とともに書かせていただきます。
お読みいただけますと嬉しいです。

「自薦」「他薦」と言えば、アイドルや俳優さんがその世界に入る時、オーディションの応募で、
「自薦」または「他薦」でエントリーして選ばれた人が芸能活動をしている。
オーディションに選ばれた人「全員」ではないでしょうが、その道を歩いて見たら、歩みたいと思えたので進んでいるという事だと思うのですが、何にせよ「生きる道を生きている」「進む道を見つけた」ということなのかな。
という話から、わたしって「他薦」だわ。と、確信いたしました。

「ワクワク」を感じて、自分の進むべき道は「こっち!」と、「情熱や確信をもって進んでいる人」をみて、または、お出会いして、いつも私はすごいな〜って思うのです。
というのも、私の場合、基本的に自分の中の情熱が原動力となって、アグレッシブに活動するということがあまりないというか・・・

はっきり言っちゃえば「面倒くさがりや」なので、動きが鈍いんです f^^;

自分の中に湧き上がってくる「ワクワク」を感じて動くということを感じないというよりも、
そもそも何が「ワクワク」なのかもピンときていない。という感じかもしれません。

「これいいな」と思い浮かべたことを、ゆっくり、ぼんやり感じて、そのまま消えていくものもあれば、ずっと残っているものもあります。その残っているものについて今度は「なんだろう」と放置するか、「それじゃあ」と、のそのそと動き出すような、非常に細かなステップをゆっくりと味わって過ごしています。
(このコラムの更新具合も、そういったペースの現れですね・笑)

やっぱりわたしは「怠け者」ではなかろうか・・と、書いていいて落ち込みそうになってくるのですが、そんなわたしが「のそのそと動き出すような、非常に細やかなステップ」を踏んでいると、
そのうち「〇〇して見たら?」「さなさん、一緒にしましょう」「お願いしたんだけど」というきっかけをいただくことがあります。
その内容が、自分が思い浮かべていた「これいいな」と関連していたり、
「これいいな」のヒントになってたり、「あ、今がその時?」と背中を押してもらえたり、と。
のんびりしていても「やる時」「やる事」は来るもんだ。というような機会が繰り返されているので
「そのうち、そのうち、やってきた時に」という流れに身を任せる「受け身体制」が定着しているのかもしれません。

面倒臭がらず、思いついたらパッパと動ける人を見ると、なんだか「できる人」みたいで、憧れたり「何が、どうなって、そうなってるんだろう?」と、仕組みをのぞいてみたくなったり。
そうじゃない自分との違いや、自分の「足りなさ」を感じたり、わたしの人生のテーマは「面倒臭がらず、思いついたらパッパと動くようにする。」なのかな?これが克服できれば、人生をもっと自信を持って生きられるのかしら。と、素早く行動に移せる人に対してモンモンとコンプレックスを抱くような時期もありました。

でも、「情熱や確信をもって進んでいる人」というのが「自薦」なら、私のようにどちらかというと「誰かに言われてそこにいる人」というのが「他薦」と解釈し、「他薦で行こう」「だって、他薦だもん」と受け入れてしまえば、焦ることなく自分の「やるべきこと」が目の前に見えてくるものです。

どちらにしても、やってみたら「向いてた」という、自分の発見になって続けていけることは「生きる道を生きている」「進む道を見つけた」または、「適材適所に配置された」ということだと思うので、「自薦」「他薦」を問わず、それらはどちらでもいいことなのでしょう。
大切なのは「自分で動くか」「流れで動くか」を自分探しの結果にするのではなくて、
「そこで何を行い、何を考えるべきか、何を見せてもらうのか」というのが、本当の自分探しのレッスンではないでしょうか?

「自薦」「他薦」と今はしっくりくるので使っていますが、本当はそんな区別も意味がないもので、
「先を行く人、後に続く人」「受け取ることと、与えること」と言い換えることもできるし、
「同じ目的や意識を共有している者同士の間に奇跡は訪れる」という、ヘレンとビルのような関係や
「癒し」「つながり」「奇跡」「真実」「愛」を望んだ時に関わり出会う人たちとの関係とか。

結局、神の愛が在る中で過ごしていること、繋がりあっていることを確かめ合う「レッスン」のきっかけに過ぎないモノだと思います。

そのうち「情熱」とか「確信」とか「いつ」というタイミングも、自然な流れでしなやかに行なわれていることに気づくのでしょね。
「素早く」も「のんびり」も、「わたし」が勝手に判断しているだけのことですから。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございます。
いつもリラックスをして、神聖な心とともに.・☆・。*

「私はあなたを聖霊の手にゆだね、
あなたが聖霊に頼るたびに、何を行い、何を言い、
何を考えるべきかをあたが聖霊から教えてもらえるようにする。
あなたが助けを求めて聖霊を呼ぶたびに、
聖霊は必ずそこにいてくれるだろう。」
(奇跡講座 ワークブック復習VI-in-7:2~3)

更新日: 2017-03-01