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徒然と・・

徒然と・・

ACIMと出会ったのは2005年〜2006年のことでした。

ある方のブログで
彼女の赤裸々な想いが表現されている日記は
とても共感できることが多くありました。
彼女はACIMを学習していて
私も、彼女が信頼を置いて学んでいる
ACIMについて知りたいと思ったのでした。

※その方とは、みなさんもご存知の増田奈奈さんです。

コースに出会い始めた頃、
「人生絶望期」真っ只中で
毎日、感情を使い分けて生きることが
ほんとうに、疲れるし、辛い日常でした。

「あしあと」というポエムはご存知でしょか。
とあるクリスチャンの方が読まれたポエムだそうですが
簡単にご紹介すると

「ある日、夢で、浜辺に二人の足跡が並んでいるのを見て
これは、自分の足跡と、その隣はイエスの足跡。
自分の人生の足跡だと思った。
でも途中、一人だけの足跡しかなくて
それは、自分の人生のとてもつらい時期の足跡だった。
なぜ、その時、そばにいてくれなかったのですか?
と、イエスに問いかけたら
「それは、私が、あなたを抱きかかえていたからですよ」
と答えが返ってきた」

と言うような内容のポエムです。

この「あしあと」というポエムのように

私も、抱きかかえてください。
もう、自分の足で歩くことができません。

と、一人、暗い部屋で祈ったことは
ACIM初期の思い出の1シーンです。

わたしは、
クリスチャンではないのですが
このポエムには、グッとくるものがあって
今もとても気に入っています。

。・。・。・

当時、ACIMは、まだ日本語訳が出ていなくて
でもとりあえず、その世界観に触れたくて
田中百合子さんの日本語訳があると教えてもらったので
取り寄せることにして

2年ほど経った時に、シェア会に参加し
その3年後に
シェア会を開催させてもらうことになりました。
私にとって、思っても見なかった展開の一つです。

気の知れた仲間が集まる場所としてだけではなく
コースを学び、分かち合いたいと思う方にとっても
いつでも安心して参加できるように
月に一度、開催するようにして現在に至ります。

ここに来れば誰かがいる。
最低でも私がいますよ。
というのが、ここで言う「安心」の意味です・・笑

そんな風に続けて7年になります。

。・。・。・

コースを学び過ごしていく中で
ある日「ふ」と感じることがありました。

新たに踏み出すというか
その「岐路」にいる。
ここが私の居る場所なのかな。と。

仕事であれ、シェア会であれ

そこにいる時
頭を垂れずにはいられなくなる
そんな想いが湧きあがってウルウルくるんです。

そこにいて、そこで関わる人たちと
共に祝福されている感覚に感謝せずにはいられない。
というか。


「人生絶望期」だった頃は
悲しみや虚しさに涙を流していましたが
気がつくと、赦し、奇跡、関わる人々によって
美しい光でその道を明るく照らされいることを
見せてもらえるようになっていて
喜びや祝福に感謝の涙が溢れるようになっている。


自分自身との関係が
再構築されて
「ここがいる場所」と
安心して日々を過ごしています。

幸せに慣れていくこと。
だと思っています。


道を照らし導かれているので
もう、今では、イエスに抱きかかえて
運んでもらっているのではなく
一緒に歩いていると感じています。


赦し、奇跡の手段を知っていること
祈りの言葉を知っていることは
ほんとうにありがたいことです。

自分が何をすればいいのかを
知っている安心感って、けっこう大きいです。


この秋、京都で
「癒されるとは、つながること」
日常の中で起こる
ほんとうの奇跡、ほんとうの赦しについて
ACIMの先輩であり、世界で活躍されている
ティーチャーのお一人
香咲弥須子さんと分かち合える場となっています。

詳しくはこちらから
「癒されるとは、つながること」
更新日:2017-11-02 09:25:46