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いつも過去を見てる

いつも過去を見てる

1999年11月30日
「身体は、過去の総体ですよね」
先日の名古屋「奇跡のコース」スタディ主催の香咲弥須子氏セミナーで
香咲先生は、こんなことを少しおっしゃられていました。

そのほかに、とっても素敵な言葉をたくさんありますが、それはまた今度。

「身体は過去の総体」という言葉に、私の心は反応していました。
過去のコラム記事をご覧の方はご存知かと思いますが
私にとって「身体」といのは、私の赦しのテーマの一つなのです。

身体の細胞は日々生まれ変わっているのに
「私は、生まれつき消化器官が弱いの、呼吸器が弱いの。というのは
過去に感じた罪悪感(エゴ)をぎゅっと大事に握りしめているからですよ」

このような言葉が、続けられていたと思います。

ワークブックのレッスン7
「私は過去だけを見ている」を思い出しながら
過去の経験や学んだことを見ているだけだということ。。。

理解はしていても、しっかりと腑におちていない心。

セミナーの数日前に、久しぶりに会う友人とランチをしたのですが
その友人は、今の職場についての不平不満を話してくれていました。
話を聞いてて、ちょっとヤダナ。と感じましたが
「私は、目の前にいる人の聖性、キリスト性をみたい」と誓い、そのまま話を聞いていました。

そして、このランチの数日前に
「私って、すべて恐れの目をとおして物事を見ている」
恐れをベースにしている。私というエゴはそうやって生きていたんだな。
ということを見ていましたので、

今、目の前にいるこの友人が不平不満を言い、
パワフルに何か抵抗しながら自分を奮い立たせているのは、恐れに対する抵抗なんだな。
そんなにも怖がっている。と見える。
それは私。
もう少し正確に言えば、過去の私。

「身体は過去の総体です。」

目の前にある身体も過去の総体。
そして、私の持ってるこの身体も過去の総体です。
ならばなぜ「病気はない」と解っているのに、今だに病院に通っているのか。
さらに新しい投薬を始めているのか。

疑問が浮かんできますが、
しっかりともっと良く見ていくと
「病気はない」「身体に見ていることも幻想だ」と心で感じた時から、今の自分のいる場所は
「私は病人だ」と思っていた時とは、全く別の場所にいる。ということが見えてきました。

それは、物理的に住処が違っているとか
通う病院もその頃とは転院して違っているということもありますが
生活のリズム、習慣、心の使い方なども変わっていること。

それは、とってもとっても自然な流れで、しれ〜っと行われてきたので
いつから始まったこととか、全くわからない進み方なので、気付きませんでした。

セミナーの中で、「変わったという実証が欲しい。」ということに
「欲しい。見たい。と焦らないことね」と香咲先生は優しくお答えされていましたが
まさにその通りです。

「心を変える」
そうすることで、自然に優しく自分のいるべき場所に、するべき事に、聖霊が運んでくれるのです。

時には、心が変わった途端に、全く違う世界を生きることもあるかもしれません。
でも、奇跡は、日常であり習慣の中にあります。
そのようなマジックを求める必要はないのだと思います。

歩いてきた道を、フと振り返り
「ああ、知らない間に随分歩いてきたな・・」と感じられれば良いのではないでしょうか。
そうやって、日々の生活すべてが奇跡の中にある。
それが、奇跡の中で生活することだと、つくづく感じます。

そして、なぜ、今、自分の前に差し出されたのかわからなくても、
そこから何を見させてもらえるのか、知らせてもらえるのか
走りすぎるのではなく、景色を楽しみながら、この道を歩きていきたいと思います。

更新日: 2015-03-16 10:40:07