閉じる

寄り添うということ

寄り添うということ

1999年11月30日
ACIM(奇跡のコース・奇跡講座)の学習者の皆さん、
赦し・癒しの道を歩まれているみなさん
日々「その方の心に寄り添うこと」につて経験されていることと思いますが、
私もここで分かち合わせていただきたいと思います。

目の前の相手の心に寄り添う
今、言葉を交わしているその人の心に寄り添う

「寄り添う」ということについて

その思いにうなずくことではないということ
もちろん、正しさ(と勝手に決めてること)を諭すことでもない。

それってどちらも、
その方の「恐怖」「罪悪感」「エゴの世界」をリアルであると認めることでしかないのですものね。
そして、それを認めるということは、私たちは「傷つくことのできる存在」である。
それを真実だとして、みていることになります。

これは、私の間違いでした。

テキストやワークブックの各所に書かれている
「私たちは、誰にも傷つけられることはできないし、傷つけることもできない」

私たちは完璧なスピリットであるということ。

このことを、もう一度、そして深く大きく教えてもらえる出来事がありました。

その方は、私がその方を「傷つくことのできる存在」と見ていたことを
勇気をもって、信頼して、そしてキリストとなり赦しに付き合ってくれました。

私たちのスピリットは、
何も足したり、加える必要がなく、そのままで良いということ。

肉体の目で見える兄弟姉妹が
どんなに「恐怖」「罪悪感」「エゴの世界」に心を揺らしていたとしても
その真ん中にある、完璧なスピリットを目撃する意志を忘れずにいるだけでいいのだと・・・

「それは幻想だから、大丈夫!あなたは完璧なのよ!」という言葉も要らない。
ただ、私が安心していればいいのだということを、受け取らせていただきました。

寄り添うということ、寄り添ういあうということは
いつでもその完璧さを知っていると安心して、相手と過ごすことなのですね。

そして、奇跡は分かち合いの中で体験することです。
なので、またフと忘れた時があったとしても
その時には、兄弟姉妹が教えてくれるのだということ。

「スピリットとして兄弟を見ることを忘れないように・・!!」と
メモを握りしめるような思いで過ごす必要もないのだということ。
そんな安心感も受け取らせていただいてます。


いつでも、
キリストととして導いてくれる兄弟姉妹がそばにいてくれることに感謝します。
そして、これからも赦しにお付き合いくださいますよう
ご一緒に、奇跡を分かち合わせてくださいね。

更新日: 2015-03-16 18:01:27