幸せでありたい・・
そう思い、日々暮らしています。
そして、うれしいことやハッピーな瞬間を経験する。
「ああ、この時が止まればいいのに〜!」
なんて思ったりして。
でも、本当にその瞬間だけを経験すると幸せすぎて怖い・・
「こんなはずない」とegoは囁き、
幸せは長続きしないし、持っていても仕方ない。
儚い夢なのだから・・
と、またせっせと何かをテーマにして、何かを追い求める心を持ち
幸せはつまらない。刺激が欲しい・・!
なんて囁きも聞こえてきそう。
そのような囁きのもと、ヘンテコなドラマをこさえる。
私たちって、こういうゲームを楽しんでいるように思いませんか?
そして、それに気づいたら聖霊にお渡しして、また奇跡の道具にしてもらう。
というのは、先日のコラム「手放しは癖になる」にも書きましたが、
私たちのすることって、本当にこれだけなんですよね。
テキストにこう書かれています。
「聖霊には、自我が作り出したものを取り消すという任務がある。
聖霊は自我が機能しているのと同じレベルで、それを取り消す。
そうでなければ、心はその変化を理解できない」
私たちのこさえたegoドラマを使って、訂正し赦され癒される奇跡を体験する。
その奇跡を体験したら、ありがたく受け取るだけなのですが・・
その訓練が必要なんですね・・
テキストにこう書かれています。
「私は感謝を必要としてはいないが、あなたは感謝する能力が弱くなっているので、それを養う必要がある。さもなければ、あなたは神に感謝することができない。
神はあなたからの謝意は必要としていないが、あなた自身がそれを必要としている。
あなたは、ありがたく思わない対象を愛することはできない。」
愛を持って差し出されたギフトを、ただ感謝して受け取るだけでいい。
それだけなのに、「こわい。こわい。」と言って、ヘンテコなものを繰り返そうとしている。
失礼な話ですね・笑
egoのドラマから抜け出したくて、その恐怖を奇跡の道具にしていただくために明け渡すことも
幸せの中にいて感謝する。そして、それもまた奇跡の道具にしていただく
どちらも同じです。
同じ夢なら、平安であることに慣れ、幸せであることに慣れ
自分でなんとかしようとする癖も手放していきたいですね。
すべてをお任せすればいいのだから。
更新日:
2015-03-16 09:58:17